「でも、それって面白いですか?」——第1回「場づくりトライ&エラー共有会」開催報告と感想

千石たまご荘・歩さんが描いてくれた参加者の似顔絵。

来てくださった皆さん、ありがとうございました。そうですね……自己紹介タイムが大半を締めました。(パチパチパチ)

—−—司会進行とタイムキープ得意な人集まれ—−—

とはいえ、楽しい時間でした。……でしたか!?(汗) 第1回「場づくりトライ&エラー共有会」話したこと、思ったこと、これから反映したいこと、等々を独白的に(!?)徒然書いてみます。

の前に、それぞれのプロローグ

まざるテラスには「日本の子育てを楽しいものとし世界の孤児を受け容れたい」という最終野望があります。

「子連れの親たちが作ったお弁当をサラリーマン等に購入してもらおう!(障がい者パン屋さんの子連れ親バージョン??)」そんな試みで始めた新宿区オヤタマゴカフェで、周囲への騒音からの瞬殺の挫折も経験しており(オヤタマゴカフェの挫折についてはこちら

「次は確認の不備は避けたい、慎重に進んでいこう」……探して探して探して、中野区の物件(複数の子供の出入り@保育事業も認めてくださる元気な大家さん!)に巡りあいました。

※本来は地方でつくりたいのですが、家族の事情で今は東京です。

文京区「千石たまご荘」を知る

そんな中、子育て支援活動している新宿区友人のシェアで初めて千石たまご荘のブログを読みました。

なんだこれ? 私が書いた文章? いや違うか。(読む)……あれ? やっぱりこれ、私が書いた文章? いや違うか」 動揺するほどに似た感覚の、嬉しい感動を覚えました。そして感動のまま、メッセージを送りました。

立ち上げ人である歩さん高浜さん、「ツチノコ広場」「千石まとめしの会」など色々な活動を以前からされています。きっとそこにはトライ&エラーの宝庫も……!!!
来ていただいた千石たまご荘の歩さん高浜さんに料理してもらう図。……いいのか!(感謝感謝です)

坂爪圭吾さんの「ごちゃまぜの家」を知る

それから、私は仏教に興味を、恒星のまわりをくるくるまわる衛星のように興味を持っています。とある僧侶さんイベントでごちゃまぜの家というワードに目が止まり、成り立ちに惹かれ、そこから触れた坂爪圭吾さんの文章に目が覚めるような感動を覚えました。多夫多妻制、私も思ってる。そして感動のまま、メッセージを送りました。

「千石たまご荘はきっと似たものが沢山ある」
「ごちゃまぜの家は全貌がよく分からないが気持ちよく惹かれる」

そんな想いを抱え、第1回「場づくりトライ&エラー共有会」当日10月31日を、何の用意もせず迎えたのですが……(←突っ込むところです

場づくりに「仲間は必要ですか?」「予定は変わりませんか?」

坂爪さんとの対話はまるで心を無にする禅僧さんとの禅問答のようでした。でも、僧侶の場合は「仏教を伝える」「仏になる」という目的はあるわけで……いったい坂爪さんの原動力は何なのだろう? 坂爪さん池に色々投げ込んで波紋を見ようと覗きこんでも、水面にうつっているのは自分ばかり、「気づいたら自分が丸裸」誠に希有な対話でした。

私の脳裏に「何かをする時は仲間3人で立ち上げたい」がありますが

「仲間は必要ですか?」

なぜ仲間が必要と思うのか。そもそも子育て中の今は「子守りを分担しないと何もできないから」という側面を改めて考えると……必須な人員であれば仲間というより雇用的な報酬が必要なのかもしれません。しかし
バラバラ【親1人子1人】【親1人子1人】=どちらも動けない
いっしょ【親2人子2人】=親1人で子2人の子守りをして親1人は動ける(可能性がある)
……換算をどうするか、どういう形での関わりと報酬(それに伴い会議の開催方法)がよいのか、再検討が必要かもしれません。

「予定は変わりませんか?」

そう、こんなふうに色々な気づきが生じて、予定はいつだって変わります。臨機応変に、その時の気持ちや流れで決めていきたいことも沢山ある。けれど

「予定を決めていたほうが楽で、安心するんです」

「……でも、それって面白いですか?

私の口から出た言葉は

「ごちゃまぜの家はできちゃった婚で誕生、まざるテラスは妊活して頑張って産んだ子供なのかもしれないなぁと感じました」

——頑張って産んだ子供だと色々計画も立て過ぎていたり必要以上に手をかけたくなる、でも本当の(生きている)子供だとしたら、親が変に手出しするより「その子の持っている種」を尊重すると、一番その子がその子らしく伸びる(場づくりも)気張りすぎず、適当に手を抜く、場がその場らしく伸びていくために、良い意味での手放しが有効なのかもしれない……そんな感覚で上記表現をしたのですが、たぶん激しく言葉足らずですね。
※言葉足らず=通常運行です。

場の安定的な継続を考えると、関わる人が増えてくると、ルール/予定/役割分担、色々な決めごとが出来てくる。でも、決め過ぎると窮屈になるそんな話も、考えさせられました。

「(どれだけ関わりが増えても)自分の責任という想いはあります」と聞こえてきた言葉、何だか心強かったです。

企業の組織づくりも同じですよね。面白さと継続を兼ねるにはどんな方法があるのか。スクラップ&ビルドの繰り返すのか。(まぁ、まざるテラスの場合は「何しよ〜」「広報がんばろ〜」の段階なんですが)


もう少し話したかったこと。地域での違い。最近の葛藤。

<当日あがったエラー共有の一部を紹介>
・周囲への丁寧な事前周知を大事に。本当に大事。例えば近隣事務所への騒音確認、商店街イベントは店舗ごとに案内など……。
調理品の持ち帰りがNGになったという「千石まとめしの会」。とても有益で面白そうな試みだなと見ていたので、状況を聞いて残念でした。
・「ボランティア的なコンセプトで始めた活動は、集まってくれる人たちもそこに同意しているので、後から報酬を有償化しようとしても舵を切りにくい」の話も、興味深く、もっと広げてみたかった。

エラーの詳しい話や地域での違い、あと収支や案なども話せたら最高でした。

中野区は「子育て支援」が弱い気がしています。

一軒家が多い/両親が近くにいる/夫の収入が十分?といった背景があるせいか、子育て中の親たちの「何かが足りない」という声も、他区に比べて小さく感じています。

でも、「声が上がっていないこと=現状の子育て環境に満足」ならば、それが一番じゃないか。現状で「子育て楽しいね」と思えているなら、別に企業の仕事していなくたって(子育てだって家事だって介護だって労働だ)、個人的な勉強や趣味がなくたって、子育てしているだけで十分すてきなことなんですから。

当日も口にしましたが、そんな想いあり、最近「周囲にあえて声をかけない」と思っていました(時々できてませんが)。「参加する?」「手伝ってほしい!」声をかけるとその人の安定を乱すかもしれない、それぞれが自然に思うままに動けていることが大事子育てがんばる人を応援したいのに心を乱したら本末転倒という葛藤と向き合っていました。子育てしているだけで十分すてきなことなんですから。

もうひとつ最近、「場をつくることで新たな囲いをつくってはいないか」という葛藤とも向き合っていました。

色々なものを開放したいのに、逆に囲ってはいないか。なので坂爪さんの「コミュニティを溶かしたい」というフレーズにブンブン首肯しつつ「どうしたら場が開放されるのか」「場がないほうが自由な可能性があるのではないか」……

でも「私は」「何か足りない」からつくるんだな

自分の居場所、あり方、現状に満足している人にはきっと不要で、でも何かが足りないと感じる自分がいるから、場をつくる方向に体が動く。

上のほうで「原動力は何なのだろう?」と書きましたが、ベースのそれはきっと「千石たまご荘」も「ごちゃまぜの家」も「まざるテラス」も他の場も同じ。そんなことを改めて思いました。

(千石たまご荘・歩さんがどこかで書かれていた言葉「何度へこたれても気づくとまたやってみようとしている」……とても共感しました)

何度エラーにぶちあたったって何度でも起き上がればいいわけで、自分にとって「欲しかった場所」、自分が「面白いね」と思えればいい。そして「誰かに必要とされる限り続き、誰にも必要とされなくなった瞬間に散る」、つまり、それってどういうことかというと……まずは自分が必要としている限り、散らないのだ!


来てくださった皆さん、本当に本当に、ありがとうございました。この記事では触れませんでしたが、また別の機会で「面白い活動/場づくりしている方々」と紹介したい方もいます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

「場づくりトライ&エラー共有会」、第2回をお楽しみに……それから「中野区の子育て支援を考える」みたいな会議もしたいなと考えています(+初心の「表に出にくい悩みを聞く」も改めてしていこうと)……そのためにも、大事なことなのでもう一度書いておきます。

—−—司会進行とタイムキープ得意な人集まれ—−—
当日、食事に出し忘れた黒枝豆。お土産に渡し忘れた柿。またまたエラーだ。あわわ。

大丈夫、人生はトライ&エラーで出来ている。

人生は続く。

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